2008年04月22日
「堂々たる政治」
こんにちは、岩屋です。
いやぁ、雑事に追われてすっかりご無沙汰ですいません。国会に地元にと忙しい毎日を送っています。
先日、移動中の機中で与謝野馨先生の新著を読ませていただきました。その名も「堂々たる政治」。中身も実に「堂々たる」ものでした。麻生太郎先生の「とてつもない日本」も元気が沸いてくるような本でしたが、与謝野先生の本はそれとはまた違った意味で、勇気が湧いてくるような本でした。「政治家の矜持」とでも言うんでしょうか。こういう混乱の中でこそジタバタせず、じっと国家の将来を見据えなければいけない。そういう思いを強くさせていただいたところです。

与謝野先生といえば、私は若い頃の思い出があるんです。当時、秘書として仕えていた鳩山邦夫先生と大の親友だったのですね。それと中村喜四郎先生です。お三方はとても仲がよくて、政治行動もともにされておられましたが、遊ぶほうもなかなかお盛んで、よく「三人マージャン」をやっておられましたね。
与謝野先生と中村先生はすぐに運転手さんを返しちゃうので、最後に残った私が深夜にお三方を宿舎やご自宅までお送りするということがよくありました。それぞれの先生が車中でいろんなお話をしてくださり、そのひとつひとつが政治家志望であった私にはとても勉強になりました。中村先生は途中で残念な事件があり、今は党を離れられていますが、何事もなければ今頃、総理総裁候補のお一人だったでしょう。与謝野先生は大病から復帰されたあと、官房長官としてご活躍されたばかり。鳩山先生は現法務大臣として活躍中。そういう方々と若い頃に接する機会を持てたことは本当に幸いだったと今更ながらに思います。
で、もう一度、与謝野先生の本の話に戻れば、やはり、政治というものは常に堂々としていなければならない。「政治」を「政治家」と読み替えてもいいでしょう。しかし、堂々としているためには、確固たる信念や理想がなければならない。そうでなければ一時の毀誉褒貶に一喜一憂することになる。世論は大事だけれど、世論に従うだけのことならば政治家なんていらないのですね。ここが難しいところです。毎回、国民投票で政策を決めるわけにはいかない。ある時は世論に逆らってでも、真の国益のために勇気ある決断をしなければならない。それも政治生命を賭けてやる。それが本来の政治家という人種の存在意義なんでしょう。

与謝野先生は言っています。肝心なときに肝心なことを言うことがもっとも大切なことで、そうでないときは酒を飲んでひっくりかえっていてもいいのだと。。。政治家とはそういうものだ、と言うのですね。そうして、かつての日本は「肝心なときに肝心なことを言う」政治家がいなかったがために国家の進路を大きく誤ったのだ、と結ばれています。
実にそのとおりだと思いますね。昨今の霞ヶ関の施策がすべからく現場のリアリティーに欠けたものになってきているのは、つまるところは政治の側にその責任があると反省をこめて思います。自民党の政策決定の仕組み、法案審査の仕組みもこれまでは「分業制」の形を取ってきていますが、もう少し広い視野に立ってじっくりと政策立案する仕組みが必要ですね。スケジュールだけに追われて粗製乱造になってはいけない。一連のいろんな問題を通じて、その思いを強くしているところです。
ではまた。お元気でお過ごしください。
いやぁ、雑事に追われてすっかりご無沙汰ですいません。国会に地元にと忙しい毎日を送っています。
先日、移動中の機中で与謝野馨先生の新著を読ませていただきました。その名も「堂々たる政治」。中身も実に「堂々たる」ものでした。麻生太郎先生の「とてつもない日本」も元気が沸いてくるような本でしたが、与謝野先生の本はそれとはまた違った意味で、勇気が湧いてくるような本でした。「政治家の矜持」とでも言うんでしょうか。こういう混乱の中でこそジタバタせず、じっと国家の将来を見据えなければいけない。そういう思いを強くさせていただいたところです。

与謝野先生といえば、私は若い頃の思い出があるんです。当時、秘書として仕えていた鳩山邦夫先生と大の親友だったのですね。それと中村喜四郎先生です。お三方はとても仲がよくて、政治行動もともにされておられましたが、遊ぶほうもなかなかお盛んで、よく「三人マージャン」をやっておられましたね。
与謝野先生と中村先生はすぐに運転手さんを返しちゃうので、最後に残った私が深夜にお三方を宿舎やご自宅までお送りするということがよくありました。それぞれの先生が車中でいろんなお話をしてくださり、そのひとつひとつが政治家志望であった私にはとても勉強になりました。中村先生は途中で残念な事件があり、今は党を離れられていますが、何事もなければ今頃、総理総裁候補のお一人だったでしょう。与謝野先生は大病から復帰されたあと、官房長官としてご活躍されたばかり。鳩山先生は現法務大臣として活躍中。そういう方々と若い頃に接する機会を持てたことは本当に幸いだったと今更ながらに思います。
で、もう一度、与謝野先生の本の話に戻れば、やはり、政治というものは常に堂々としていなければならない。「政治」を「政治家」と読み替えてもいいでしょう。しかし、堂々としているためには、確固たる信念や理想がなければならない。そうでなければ一時の毀誉褒貶に一喜一憂することになる。世論は大事だけれど、世論に従うだけのことならば政治家なんていらないのですね。ここが難しいところです。毎回、国民投票で政策を決めるわけにはいかない。ある時は世論に逆らってでも、真の国益のために勇気ある決断をしなければならない。それも政治生命を賭けてやる。それが本来の政治家という人種の存在意義なんでしょう。

与謝野先生は言っています。肝心なときに肝心なことを言うことがもっとも大切なことで、そうでないときは酒を飲んでひっくりかえっていてもいいのだと。。。政治家とはそういうものだ、と言うのですね。そうして、かつての日本は「肝心なときに肝心なことを言う」政治家がいなかったがために国家の進路を大きく誤ったのだ、と結ばれています。
実にそのとおりだと思いますね。昨今の霞ヶ関の施策がすべからく現場のリアリティーに欠けたものになってきているのは、つまるところは政治の側にその責任があると反省をこめて思います。自民党の政策決定の仕組み、法案審査の仕組みもこれまでは「分業制」の形を取ってきていますが、もう少し広い視野に立ってじっくりと政策立案する仕組みが必要ですね。スケジュールだけに追われて粗製乱造になってはいけない。一連のいろんな問題を通じて、その思いを強くしているところです。
ではまた。お元気でお過ごしください。
Posted by たけし at 15:34│Comments(0)
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